発音が難しい?ネパール
 正式国名の NEPAL って、実は日本人には「ほとんど発音できない」もの。「Lの子音」で終わっていることに注目。ふつうの日本人が発音するネパールは、 NEPARU で、ネパール人が聞くと(英語圏の人が聞いても)ネパール=NEPALには全然聞こえない。日本語がしゃべれる若者など、日本人と話す時はわざと NEPARU と発音するのも見かける。

何故国旗はこの形なの?
 ホント不思議な形ですよね!四角以外の国旗は、世界中でネパールだけです。私は初めてのネパール旅行時(1985)から、何故何故この形....という疑問を持ち続けています。実は現在でも「これ!」という確実な答えは得られていません。
 ただし、ひとつヒントになるかな?と思うのは、ネパールのヒンドゥー寺院の入り口には、ブロンズ製でネパール旗型の旗(の銅像)が建っていることが多いですヒンドウー神話の戦の印旗にも、この形の旗が使われているのを見ます。
 まず間違いなく、三角形を二つ重ねたような旗の形は、ヒンドゥー教に古くから伝わるもののようです。

国歌の歌詞の意味は?
 知恵深く、雄々しく、恐れを知らぬ尊き国王よ。
 大いなる国王陛下にとこしえの栄あれ、大君の長寿を祈り、民びとの発展を愛もて叫ばん、ネパールの民たる我らこぞりて。
 敵する者をことごとく討ち、苦難をすべて安んじて、民びとこぞりて唱えん、幸多き王の栄光の物語を。
 重々しき王の勇断もて、ネパールの統治あらんことを。大いなる我らネパールの民の、繁栄あらんことを。
   (出典: 『南アジアを知る事典』 翻訳:佐伯和彦先生)

雅(みやび)の町、カトマンズ
雅名を「カンティプール」 Kantipur という。新聞のカンティプール紙はこれに因んで名付けられたそうだ。だからかぁ.....英文姉妹紙は The Kathmandu Post。
優雅な名前にふさわしく、きれいな町になってもらいたい.....

カトマンズ盆地ってどんな気候?どんなところ?
 カトマンズ盆地(首都圏)の面積は、甲府盆地と同程度。標高約1,300メートル(軽井沢と同じくらい) 緯度は沖縄と同程度である。沖縄の周りが全部陸地で、そこに軽井沢程度の高原が存在する....って感じの立地
 東京と比べ夏はそれほど暑くなく(最高気温が30℃をちょっと越えるくらい)、冬はそれほど寒くない(雪は降らない)。
 盆地全体の人口は、約140万人ともいわれている。ネパールの地方から、そして北インドから、移住者がどんどん集まり膨張を続けている。かくいう我が家も、私は日本から移住。亭主はカブレ群からの移住者。
 水不足と物価の高騰、そしてゴミ処理・大気汚染など都市化による諸問題が深刻である。政府としても、大気汚染緩和のためディーゼル乗り合いデンプー(三輪自動車)の規制など、出来ることから取り組んでいる。が、道は遠い.....

ビレンドラ国王・アイショアリヤ王妃
 1945年12月28日、カトマンズのナラヤンヒティ王宮にて、マヘンドラ前国王のご長男として生誕。東京大学とアメリカのハーバード大学で学ばれた経歴を持つ。日本語がお出来になる.....という未確認情報あり。
 アイショアリヤ王妃との間に2男1女あり。娘のプリンセス・スルーティーはご結婚後2女の母となり。ビレンドラ国王も「おじいちゃん」となった。
 ハンサムでジェントルな方。庶民に対しても物腰がお優しい。近年ロンドンで心臓のバイパス手術を受けられた。前国王は心臓麻痺で亡くなられたこともあり、国民はビレンドラ国王の健康を心配している。

コイララ首相って、マニシャ・コイララの親戚?
 ヒンディー映画界の輝けるトップスター、ご存じ(知らない?)マニシャ・コイララはコイララ首相のお兄さん(BPコイララ)の孫。もしマニシャがネパール政界に打って出れば、未来の女性首相は間違いないのに.....
 コイララ首相は、亡スシュマ夫人との間に一女(スジヤータ・コイララ)あり。娘は政界に出たくてたまらない様子で、各種社会事業で名を売ることに邁進している。
 コイララ首相は3人兄弟で、全員首相経験者という家庭の出身。ちなみにコイララさんは「ミスター・リュウタロー・ハシモトとはベリーグッドフレンドでーす。日本は仲良しの国でーす」と発言した。ねっ、そうでしょ.....○○通信のア○ャ○ヤさんも聞いてたよねー。
 
近くて遠い、ネパールの国内移動
 たった東西に885q、南北は145−241qの国である。もし新幹線や高速道路があったなら、カトマンズ−ポカラ(ネパール最大のリゾート地)なんてたった200q、遠距離通勤できるかも?
 しかし絶悪なる道路事情のため、ポカラまでは片道6−7時間もかかる。それどころではない、自動車道路のない地域が沢山ある。外国人の沢山来るトレッキング・ルートなら、ホテルも茶店も整備されているから楽しく歩けるが、普通の田舎の歩いての移動ははっきり言って大変である。日本なら完璧に「人の住まない山岳地帯」みたいな場所にも村があり、細々とした険しい生活道路(もちろん徒歩のための)があるのには恐れ入る。
 標高4,500メートルの目的地(ヒマラヤ氷河地帯)まで行くのに標高はたった900メートル(亜熱帯でーす!)から歩き出したことがあった。最初の2日間は熱射病になりながら歩き、その後はにまとわりつかれて歩き、その後は高度障害を恐れつつ9日間もかけて目的地に到着した。
 帰路は思いがけずヘリに乗ることとなり、9日間かけて泣きながら歩いた道をたった30分で降りてしまった。厳しくものどかで、心優しきヒマラヤの里から一気に現実世界に戻された時、素晴らしい夢から「ペリッ」と剥がされたみたいで悲しかった。
 尚この時のヘリは、ロシア軍の払い下げMI17というアフガン戦線で活躍した元軍用機。4000メートルという高度ではローターを止めることが出来ず(止めると二度と浮上できなくなる恐れ大)、自分のすごく間近に着陸した大音響と暴風を巻き起こすヘリに、かつぎ込まれるようにして乗り込んだ。はっきり言ってランボーの世界。さすがの私が恐怖で、マジで半ベソをかいた。

何でエベレストじゃないの?
 エベレストという名前は、大英帝国植民地時代のインド測量局の元所長、Sir Gorge Everest に因んで、1865年につけられた。イギリスに行くと、エベレストさんっているんだなぁ......
 サガルマータという名前は、マヘンドラ前国王時代に名付けられた。世界の頭という意味のサンスクリット語での造語。なお名付けの発想者の孫は、共同通信ネパール通信員のマダブ・アチャルヤさんのおじいさん。蛇足であるが、このマダブさんはとってもとってもダンデイーで優しいおじさまです。
 エベレスト、じゃなかったサガルマータの申し子、ネパールのシェルパ族のみなさんはこの山をサガルマータでもなくチョモランマでもなく、普通はエベレストと呼んでいる。一方カトマンズのお役人は、サガルマータという呼び方に固執している感がある。
 私は役人じゃないけれど、この山はサガルマータと呼びたい。ネパール人としての誇りが感じられる名前だから、こだわりたい。

3時間15分遅れの時差って事は
 貴方が日本にいてネパールの時間を知りたいなら、アナログ時計を45°左に回す(日本時間⇒ネパール時間)。
 貴方がネパールにいて日本の時間が知りたいなら、アナログ時計を45°右に回す(ネパール時間⇒日本時間)。
 何でこんなに半端な時差かというと、隣の超大国インドと15分でも違えたいという、小国なりの自己主張が感じられる。同様にブータンは、インドとたった5分の時差を設定している。

英語が出来ることが、知識人の証。じゃあ日本語は?
 ネパールでは、高等教育の授業が英語で行われることも珍しくありません。都市部の私立校では、幼稚園から「英語で教える」システムが普及しています。英語「を」教えるのではなく、英語「で」教えるのです。このような学校では、ネパール語の授業だけがネパール語で行われます。喋るのはネパール語だけれど、書くのは英語の方が得意だよ!という子供たちが沢山います。
 一般的に南アジアでは、英語が流暢なこと=教育を受けていること、といった風潮があります。その結果、「母語」が貧弱なエリートたちがいたりします。
 ところでカトマンズやパタンでは、日本語教育も盛んです。沢山の日本語学校(私立の語学教育センター)があります。日本人は英語が喋れない。日本人相手の商売をするためには、ネパール側が日本語を理解しなくてはということのようです。また、英語教育で落ちこぼれた人たちの「敗者復活戦」的側面も感じます。日本語とネパールの諸言語は、文法的類似点が多いので、ネパールの人たちにとっては「会話は学びやすい」のだそうです。読み書きの方は、やはり漢字がネックになっています。
 因みに、何人か素晴らしい日本語を操る、ネパールのピカピカ教養人もいます。しかし彼ら彼女らは、英語も完璧です。
 英語も日本語もできない。でも素晴らしい人間性と、インド・ネパール世界の学識を備えた方も沢山いらっしゃいます。

世界で唯一のヒンドゥー国王
 ってことで特に信心深い南インドから、東南アジアに移住したヒンドゥー教徒の人たちが「ネパールの王様、グレイトねっ」と云ってくれる。私はバンコクのインド人街で、亭主はシンガポールのインド人街でそれぞれサリー屋さんで、「ヒンドゥー国王のネパールから来たって!よし、サリー出血大特価でサービスだよ」と云われたことがある。
 本心なのか、インド商人のリップサービスなのか????

お釈迦様ってインドで生まれたんじゃなかったっけ?
 違います(きっぱり)!お生まれになった2500年前には、インド共和国もネパール王国もなかった訳ですが、現在の国境ではネパール領内のルンビニが生誕地です。
 まぁ、人間シッダルタの生誕はネパールのルンビニで、目覚めた人「ブッダ」となった(≒聖者として生まれた)のはインドのブッダガヤですけどね(こう言うと、ネパール人はすごくイヤーな顔をします。インド人は?)。
 このルンビニ、現在では世界中から巡礼者を集める聖地となっています。日本の法華ホテル(日本では倒産してもネパールでは健在)もあり、大浴場と日本間の客室、純日本料理が楽しめます。
 ところで、この聖地ルンビニの地域住民の宗教は何でしょう?仏教徒、ヒンドゥー教徒は少数派で、なんと大部分はイスラム教徒です。仏教聖地の周辺はモスクだらけで、朝晩「アッラ〜」何とかという祈りの声が響いています。
 加えて、この聖地を管理・開発(という名目の破壊?)しているルンビニ開発基金は、ヒンドゥー教徒が牛耳っています。ヒンドゥー教にとってブッダは、ヴィシュヌ神の9番目の化身であり「仏教もヒンドウー教の一部」と言ってはばかりません。なら何で仏教徒の外国人は、ネパール・ヒンドウーの総本山パシュパティナート寺院(異教徒は入れてくれない)に入れないの!?
 蛇足ですが、ルンビニの観光開発が進むにつれ、お乞食さんも集まっています。彼らは巡礼・観光客が聖地にはいる前は遠巻きにしていますが、聖なる場所で心が洗われて出てきた瞬間をねらって殺到してきます。正直、さっきまでの「ピュアな魂」のままで対峙するのは厳しいものがあり、完全にお乞食さんの「勝ち」です。プロ根性のあるお乞食さんたちです。

ネパールのマスコミ
 現在ネパール政府情報通信省に登録されている新聞・雑誌は、合計で2700紙/誌もあります。しかしその中で継続的に発行されているものは400〜500紙/誌しかないということです。使用言語としてはネパール語、ついで英語のものが圧倒的で、ヒンディー、ネワール語などの新聞・雑誌もあります。
 また、同様にジャーナリストとしてネパール政府に登録したネパール人+外国人記者の総数は6300人にものぼりますが、その記者活動が認められ毎年の登録更新がされている記者は1100人あまりしかいません。
 ネパールでは新聞雑誌が生まれては消えるということが続いています。1990年の民主化後、量だけが成長したネパールのマスコミですが、最近やっと「質」の向上が叫ばれています。その最先端に立ちネパールのマスコミメディアを牽引しているのは、後述するヒマール・メディア社です。

本当にテレビは1chだけなの?
 いえいえ、世界中の衛星放送が視聴できます。パラボラを立てなくとも、カトマンズ盆地内ならケーブルに加入すればOKです。
最近、50ch視聴可能なケーブルが人気で、ここではNHKも見られます
 ところでネパールTVですが、ニュースと若干のドラマ(ネパール語・ヒンディー語による)は人気があります.....がその他の番組は.....(そんな失礼なことは、口が裂けても云えない)。

民間のFM
 特色のある局は、
HBC 94MHz
 経営にヨーロッパ人が関わっているらしい。瞑想音楽、民族音楽、クラッシック(ヨーロッパ+インド)、ジャズ、欧米古典ポップスなど、HBCはネパールで唯一外国人の耳に耐える選曲をしている。
 真っ昼間は、ネパール民謡もon airする。
Kantipur FM 96.1MHz
 新聞社の系列局。番組の途中に緊急ニュースが流れる時時がある。特に災害関係の情報は、欧米系ワイヤーニュースより早い。最近航空機が落ちまくりのネパールでは、欠かせないFM局であろう。
Radio Sagarmatha 102.4MHz
 ネパールで唯一、ネパール語だけによる放送を売り物にしている(他局は英語による番組も多し)。

新聞
 ゴルカパットラ公社は、ネパールお役所の広報を知りたい時、政府の方針を知りたいときにだけ....
 カンティプール出版は中立公平が売り物だが、いかんせん記事に間違い・誤報も多い。あまりにセンセーショナルな記事は、一度疑ってみるべきか?
 ヒマールメディアは、欧米先進国の第一線で活躍したスタッフを多数抱えている。ネパールで唯一の、本物のメディアだと私は思う。ネパール人だけでなく、外国人が読んでも興味深い記事が楽しめる。この会社の中心人物、カナクマニ・ディクシットさんは元国連本部の職員。アルマーニの男性モデルにもなったことがあり、知性とダンディーが共存する怪人。超かっこいい!